中野信子『人は,なぜ他人を許せないのか』(アスコム・令和2年)
私の母校,掛川西高校が26年ぶりに夏の甲子園に出場したため,去る10日に応援に行ってきました。
26分の1回を担った母校應援團長として大変感慨深いものがあります。
お盆の帰省ラッシュと重なった新幹線は激込みでしたが,甲子園の道中,本を1冊読めましたので早速メモします。
本書は,芸能人の不倫スキャンダル等に対して,全く無関係な人が攻撃的になるのはなぜか,脳科学者の視点から考察をしています。
ネット上の言論を扱う弁護士としては大変興味深いテーマです。
正義中毒のエクスタシー
人は本来は自分の所属している集団以外を受け入れられず,攻撃するようにできています。
…私たちが正義中毒になるとき,脳内ではドーパミンが分泌されています。…端的に言えば,気持ちいい状態を作り出しています。
自分の属する集団を守るために,他の集団を叩く行為は正義であり,社会性を保つために必要な行為と認知されます。攻撃すればするほど,ドーパミンによる快楽が得られるので,やめられなくなります。自分たちの正義の基準にそぐわない人を,正義を壊す「悪人」として叩く行為に,快感が生まれるようになてっているのです。…
例えば,テレビを見ていたら,どこかの親が自分の子どもを虐待しているような,ひどいニュースが流れていたとします。…
このようなとき,こうした出来事とは全く無関係な一人の使用者としての私たちは,無関係ゆえに絶対的な正義を確保している立場にいます。…
自分には直接の関係はないのに,さらなる情報を求めたり,ネットやSNSに過激な意見を書き込んだりする行為。これこそ,正義中毒と言えるものです。このとき人は,誰かを叩けば叩くほど気持ちがよくなり,その行為をやめられなくなっているのです。(120頁から122頁)
いわゆる脳内麻薬ですね。
ネット上で誹謗中傷を繰り返す人を特定してみたら,案外普通の人だった,ということはよくあります。普通の人が他人に石を投げるんですね。
そして弁護士から連絡が来て冷静になって考えると,後悔する人もまた多いです。
多様性を狭めた集団は滅亡に向かう
正義中毒にかかった人たちは,一見するとそれぞれ独自の理論,独自の正義を持っているように見えます。しかし実際は,自分がターゲットにされることを恐れる気持ちから,多数派に流れている人が多いといえるでしょう。
例えばAを「不謹慎だ!」と叩く議論が主流になってしまうと,異なる意見を持っていたとしても,言い出しにくくなります。…
社会全体でこういう方向に踏み出すことは,長期的に見ると非常に危険です。多様性を狭めた集団は,短期的には生産性を向上させ,出生率も上昇して成功を収めるのですが,進化の歴史の上では滅亡に向かいます。
言い換えれば,主としての健全な繁栄のためには,多少コストと感じたとしても,ある程度の多様性を担保しておかなければならないということです。(39頁)
人格攻撃と議論との決定的な違い
…日本人が議論だと思ってしていることは,対立する二つの意見を吟味・検討してより良い結論を導くというものなどではなく,なぜかたいがい人格攻撃になってしまいます。けなし合いと議論はまったく違うものなのえすが,正義中毒の人々は,相手の主張の良いところを取り入れるとうことが,なかなかできません。…
結局,正義が一つしかないという前提があるために,彼らの言説は,議論に昇華する余地を持たないのです。…
さらに言えば,そうした土壌では議論よりも根回しが重要とみなされたので,本質的な議論が波多津しなかったのかもしれません。…
ですが,今後日本人が,高齢化や少子化などの世界中の人々が未踏の問題に,世界に先駆ける少子高齢化の国の人間として直面するとき,はたして議論する力を持たずに対応することが可能なのか,少々心配になります。
高校生に講演する際によくいうのですが,なぜ多様性を尊重した方がよいかといえば,変化に対応できず,危険だからです。その反対,多様性を尊重しない=優生思想が支持を得る社会では,いつか皆が切り捨てられるからです。
⇒木村草太『憲法学者の思考法』
まさに正義が1つしかないという考え方こそ危険ですし,長期的には損である,といえます。
「一貫性の原理」の罠
人間は,自分が言い続けてきたこと,やり続けてきたこと,信じ続けてきたことをなかなか変えられません。そして,それまで見せてきた自分と矛盾しないように振る舞わなければいけないという根拠のない思い込みに,無意識に縛られています。この現象を,心理学では「一貫性の原理」と呼んでいます。…
「一貫性の原理」というネーミングにも面白い事実が隠されています。つまり,この背景には,人間自身が本当は一貫してないという現実があるのです。(155から156頁)
自分にも他人にも「一貫性」を求めない
…ときにはそれがパワハラの温床になったりもします。自分が上司や先輩という立場で,経験の不足している部下や新人を見ていると,なぜ言われた通りにできないのか,自分が新人の頃やってきたようになれないのか,と腹が立つこともあるでしょう。…
そもそも他者,そして自分自身にも一貫性を求めること自体,不可能なことなのです。…
そのように「信じていたこと」を裏切られたと感じることこそ,摩擦やいざこざの原因にもなったりするわけですが,それを回避する一番良い方法は,そもそも他人に「一貫性」を求めること自体をやめることではないかと思います。…
…個人攻撃をして,ほんのひととき痛快な気持ちになったところで何かが変わるわけでもありません。およそどうでもいいことでしかありません。この「どうでもいい」という感覚が,他人に一貫性を求めないための良い距離感になるのではないでしょうか。(207から212頁)
老けない脳を作るトレーニング
オーストラリア国立大学と米ネバダ大学の研究者たちが,2011~2015年に世界の31の国や地域で25~65歳の16万人を対象に調査した「国際成人力調査」のデータを分析したところ,読み書きや数学のテストの成績は,16歳頃に過程にあった蔵書数と相関関係があるという結果が得られたといいます。なぜこうしたデータが得られたのかは明らかで貼りませんが,親をはじめとするその過程の人々が使用するボキャブラリーの豊かさと,複数の価値観に常に触れていることが,子供の知能の発達に深く関係しているのだろうと現在のところは考えられています。
これを脳科学的に考えると,本がたくさんある家で育つことと,…跡継ぎをわざと別の環境に放り込んで修行させることは共通点がありそうです。自分の両親の思考だけに触れて育た子どもと,両親以外の大人とも深くかかわった子どもでは(良くも悪くも)性格形成に差が出ます。それと同様に,たくさんの蔵書がずらっと並んだ家で背表紙に囲まれて育ち,その数冊だけでも目を通すことで,「この世にはいろいろな考え方が存在する」という意識を早くから持てた子どもの方が,脳が発達する時期をより有意義に過ごすことができたと考えられます。
パワハラセミナー,特に管理職向けのセミナーで本当によくいうことがまさに「他人に期待するな」です。部下に期待するから,本書でいうところの自分が部下だったころとの一貫性を求めるから,失敗した部下を許せないのです。
そもそも管理職の仕事は,部下に失敗する権利を与えること,という人もいます。
⇒小倉広『自分でやった方が早い病』(星界新書・2012年)
部下に対して,「どうせ与えた仕事の3割は役に立たない」くらいの「心のストレス引当金を積んでおくのです。
⇒ムーギー・キム『最強の働き方 世界中の上司に怒ら荒れ,凄すぎる部下・同僚に学んだ』(東洋経済・平成28年)
他人に一貫性を求めない。芸能人のスキャンダルなんて関係にないことは,どうでもいいのです。
最後に,本をたくさん読みましょう。
親の蔵書数で子の学力が決まるというのは,経験的によく共感できます。