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木村草太『憲法学者の思考法』

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木村草太『憲法学者の思考法』(青土社・令和3年)


 受験時代にお世話になった木村草太先生,最近はメディアでもご活躍されていますね。そんな木村先生がエッセイを書かれていたので,
 元憲法ゼミ生で元憲法オタクの私としては放っておけません。内容は最近の時事について憲法学者としての意見を述べられてり,建築,将棋,映画に至るまで多岐にわたります。その中でも私が特にいいなーと感じたところを2か所ほど引用します。

(相模原の殺人事件を受けて)

「今回の事件では…優生思想にどう向き合っていくかが問われねばならない。…
 優生思想を克服するには,『そんな思想は誤りだ』と非難するのではなく,その合理性をさらに突き詰めた時の結論と向き合うしかない。
 障害者を排除すれば,障害者の支援に充てていた支援を,他の国家的な目標を実現するために使えるだろう。しかし,それを一度許せば,次は『生産性が低い者』や『自立の気概が弱い者』が排除の対象になる。また,どんな人でも,社会全体と緊張関係のある価値や事情を持っているものだ。タバコを吸う人,政府を批判する人なども,社会の足手まといと見做されるだろう。国家の足手まといだからと,誰か一人でも切り捨てを認めたならば,その切り捨ては際限なく拡大し,あらゆる人の生が危険にされされてしまう。だから,人の命に価値序列をつけることは許されないのだ。」(同書111頁から112頁)

 

 ドラえもん®の「どくさいスイッチ」という話がありますよね。
 権力者が自分の都合の悪い人を消していくと,最後は世の中に自分一人しか残らなかった,というやつです。優生思想はその危険を常に孕んでいるんですよね。切り捨てる側は「まさか自分が切り捨てられる側になる」とは思っていない。

 犯罪に関する報道やネット上の意見なんかも同様の文脈で考えることができます。
世の中,多くの人が漠然と「犯罪を犯す人は異常者で,自分は違う。」と思っているのでしょう。だから,「自分とは違う彼らのことはいくらでも批判してよい」と思うのではないでしょうか。
 でも,意外と簡単に皆さん,逮捕されてますよ。大した証拠もないのに。本当に冤罪ってありますし。やっぱり刑事裁判って大事なんです。

 

「私は先日,AI(人工知能)研究者の山川宏氏に,興味深い話を聞いた。昨今のAIは,自ら学習することで性能を向上させる。これには,学習が上手くいったかどうかの基準設定が必要だが,それに失敗して,リワード・デリュージョン(妄想的報酬)をAIに与えてしまうと,人が麻薬に陥るように中毒を起こし,誤った目的を追い求めてしまう。…
著名人の不倫や犯罪に対する過熱した報道を見ていると,『ある対象を批判したい』という欲望の中毒に,メディアと国民とが陥っているように感じることがある。何かを批判すると,自分が優位に立った気になったり,承認欲求が充たされたり,視聴率が上がったりするかもしれない。しかし,これらは妄想的報酬にすぎないのではないか」(同書175頁から176頁)

 

 中野信子先生も『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』(幻冬舎新書・平成30年)の中で同様のことを述べていました。

 人は失敗します。インターネット事件をやっているとつくづく思うのですが,
先述のとおり,「自分とは違う彼らのことはいくらでも批判してよい」ではなく,
人々が少しだけ,「彼は自分かもしれない」という寛容さを持てたらいいのにな,と思う次第です。

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