堀尾の本棚

二宮清純『森保一の決める技法』

二宮清純『森保一の決める技法』(幻冬舎新書・令和5年)

 

大学生のときからサッカーを見だしたにわかファンなのですが,
ビジネスは団体競技ですから,特に監督に関する本はビジネスのヒントを求めてついつい読んでしまいます。

 

「これはチームドクターにも,はっきり申し上げました。“先生,できるかもしれない,できないかもしれないという言い方はやめてください”と。
…僕は監督はマネジャーだと思っています。コーチングスタッフもバックヤードのチームスタッフもいる中,皆がチームを勝たせるためには何ができるかを真剣に考えている。そこで大事なのは,個々が自らの担当部門の責任を負うということです。
 もちろんチームの最終的な責任は僕がとります。しかしそれはあくまで最終的な責任であって,任されているところは個々で判断し,責任を負ってもらいたい
 たとえば,ドクターが“この選手は使えません”と言ってきた場合,本当は使えるだろうと思っていても,僕の権限で当該選手を使ったことは一度もありません。もし僕がそんなことをしたら,ドクターは僕のことを信用しなくなる。任せる以上は,スタッフの意見を尊重するというのが僕の基本的なスタンスです。」(45頁から47頁)

「オフトさんから学んだことはたくさんありますが,一番は“個々の役割を徹底する”ということですね。選手に対する要求はものすごく厳しかったし,また練習も厳しかった。それなのに,いつも笑っているんですよ。それはサッカーって,自分の好きなことでしょう。たったら楽しむことを忘れちゃいけないよ,というメッセージもあったと思うんです。その学びは,指導者になってからも生きています」(176頁から177頁)

 仕事において決断すること,組織に対して責任を負うことを嫌う人がいます。しかし,責任を負うことは任されること,裁量を与えられることであり,そこが楽しいところでしょう。
 管理職の仕事は仕事を任せることであり,「『任せる』とは『失敗させる』権利を与えること」ともいいます(小倉広『自分でやった方が早い病』〔星海社新書・平成24年〕123頁)。
 そして,オフト監督のように,ボスたる者,仕事を楽しむべきです。ボスが機嫌よく,楽しく仕事をしていることは,とくに小さな組織では意外と大切だと思います。

―森崎浩司選手が鬱状態と聞いた時,どう対応しようと考えましたか?

森保 まずはサッカー選手というよりも,ひとりの人間としてどのように平穏な日々を送ってもらうか,安心の日々を送ってもらうか。そのことを考えました。サッカー選手としてどうするかは,次のアプローチでした。(78頁)

 部下の「大切にされている」という信頼感が,意外とお金よりもやる気に繋がるものです。特に,世の中の上司のほとんどが部下の給料額までは決められませんから,こういう視点は大事なのではないでしょうか。
ムーギー・キム『最強の働き方 世界中の上司に怒ら荒れ,凄すぎる部下・同僚に学んだ』

上下ではなくフラットな関係を指す「監督係」
森保と栗山には共通点が多い。
…まずひとつ目。2人とも監督という仕事を,あくまでチームの中の役割のひとつととらえ,自らはもっぱらマネジメントに専念していること。
監督と選手は「上司」と「部下」ではなく,あくまでもフラットな関係だと森保は考えている。そこに役割の違いはあれど,貴賤や序列はないのだと。(162頁から163頁)

 要約すればZ世代との付き合い方において押さえておくべきは,彼らの「一個人」としての尊厳を傷つけず,「承認欲求」を満たし,アドバイスする際は「効率性」を重視し,「オープンでフラット」な関係の構築に努めるということだ。
新しい酒は新しい革袋に盛れ―新約聖書に記されているイエス・キリストの言葉だ。欧米では,〈新しい思想内容を表現するためには,新しい様式を必要とする。いつまでも古い形式にばかりこだわっていてはならないというたとえ〉(imidas)として使われる。
…本書を書くきっかけは,取材を通じて森保一監督との関係が30年を超えたからではない。日本代表を率いる彼のスタイルに「新しい革袋」を見る思いがしたからだ。先に示したZ世代との付き合い方における4条件を,彼は全て満たしている。
 しかし,そこに無理は見られない。自ら「新しい革袋」を目指した痕跡はなく,今の革袋を,さらにリニューアルしようという意思も感じられない。この54歳は,どこまでも自然体なのだ。(223頁から225頁)

 テレビ越しでも本当にそう見えますよね。森保監督はZ世代の日本代表選手を率いて,最近の活躍はいうまでもなく,結果が出ていないときも信頼を得続ける。
 これはパワハラ的な指導が禁じられた現代社会における部下のマネジメントの,一つの解だと思うのです。ハラスメントのセミナーで引用しようと思います。

リアリストの森保は,口ぐせのように「やりたいサッカーとやれるサッカーは違う」と言う現実を直視し,「やれるサッカー」を磨き上げることが,「やりたいサッカー」へとつながっていく―かれはそう考えているのだ。(51頁)

「サッカー」を「仕事」と読み替えてみると,これも真理かなと思います。「面白い仕事は絶対に上からは降ってこない」というのにも通ずるかなと。
 若手のうちに一生懸命こなした仕事の基本が,意外な専門性に通じ,応用が利くようになると思います。

PAGE TOP